【思ったこと】私がWMに対してすごいと思い、自分がそうでないと思う個人的な理由に気づきました。

 先日から、Twitterでちょっとつぶやいて、ブログに書くのは後回しにしていたことが一つあります。

 先日も似たようなことについて書きましたが、

 ワーキングマザーと専業主婦についてです。

 先日の記事はこちら。

 【思ったこと】WMと専業主婦の違いそれぞれ。
 【思ったこと】「そもそも、なんで比較するの?」


 今回、始め、結構強烈に頭がぐるぐるしていたのですが、三日くらい経ったら、自然に答えがすとんと落ちてきました。
 その経緯と思考を書いておこうと思います。

 発端となったブログ記事はこちらです。

ワーキングママフォーラム2013|colorful days ~ 毎日を彩り豊かに♪

 先日の記事の発端となったDaisyさんのブログです。
 参加されたワーキングママフォーラムのHPはこちら。

東京ワーキングママ大学


 必要ないかもしれませんが、始めに断わっておくと、私は子育てをしながら仕事を持っている女性は本当にすごいと思っています。
 子供を集団保育に預けることも子どもの経験としてはいいことだと思ってます。

 そのうえで、専業主婦をされている方が劣っているとか、楽だとか思うつもりもありません。
 どちらが大変というつもりもないし、どちらが楽ということもないと思います。
 どちらも否定するつもりは全くありません。
 でもどちらにしても私の知りえない状況なんかはあると思っています。

 これはあくまでも、ワーキングマザーになれなかった(ならなかった)私個人の、考えです。



 最初に目に留まったのが、ブログ中のこちらの文章でした。



最初に講演して下さった方が、

「ここに来ている皆さん。結婚しても子供を産んでも、
働くことを諦めないでくれて、ありがとう」


とおっしゃったことが、とても新鮮でした。

 これを読んで、とても衝撃を受けたのです。

 友人に「そもそも何で、(WMと専業主婦を)比較するの?」と聞かれたときに書いた答えが、もっと明確に見えた気がしました。

 私が、WMと専業主婦(自分)を比較して、WMがすごいと思い続けている理由、それは、

 自分は結婚して、子供を産んで、働くことをあきらめたからだ

 と気づきました。

 前にも書きましたが、私はどちらかというと結婚をもともと人生設計の視野に入れていなくて、仕事を持ち続けて生活したいと考えていました。

 その理由は色々ありますが、経済的に自立することが、自分の自由を確立する手段の一つだと考えていたからです。
 具体的に言うと、学生時代に、親に「生活費に学費を出してやってるのだから、従え」という趣旨の言葉を言われるのがとても嫌だったのです。

 かと言って、夫と結婚するときに、私がその時就いていた職を辞めるだろうという予測はありました。
 夫が転勤族だったからです。

 仕事を辞めた理由は、いくつでもあげることができます。

 ・妊娠中の体調不良で、遅刻ばかりしていて、そういう勤務を産休に入るまで続けるのは、自分もきつかったし、周りにも迷惑をかけると思った。
 ・もともと女性の少ない業界&事業所で、結婚している女性はいなかったし、社内に子供を持って働いている社員の知り合いもいなかった。
 ・妊娠する前年に、仕事が多忙でうつ病になりかけた。
 ・結婚して出張期間は短くなったが、出張もあったし終電(新幹線)での帰宅もある仕事で、子供を持って自分ができる仕事の想像がつかなかった。
 ・育休後の勤務形態を調べたところ、時短勤務(9~16時)が存在したが、通勤時間が片道2時間半近くかかる職場に通いながら、子どもを保育園に送迎することはできないと思った。
 ・夫は7時前に出勤、22~23時帰宅、土曜は隔週出勤、日曜も必要に応じて呼び出しがかかる状態で、夫の育児参加が見込めなかった。
 ・勤務を続けたとしても、数年で夫の転勤があるのがわかっていた。

 どれも、難しいと思ったけど、どこかで、対応できないことではないとも思ってました。
 続けようと考えるなら、方法はあったと思います。

 上司や先輩は、産休まで頑張って産休中に辞めるかどうかを決めてもいいとも言ってくれたし、育休が終わって復帰して無理ならその時にやめてもいいと言ってくれたし、周りの同僚も毎日遅刻する私を気遣ってくれました。
 会社の環境ややり方、仕事の状況などには行き詰まりを感じていたけれど、仕事の作業そのものは好きでした。

 だけど、私は、楽な方を選んだ。
 努力することを放棄した。


 例えば、自宅が職場が近ければ、やめなかったかもしれない。
 例えば、実家が近ければ、やめなかったかもしれない。
 例えば、夫が転勤族でなければ、自宅の近くに転職を考えたかもしれない。

 そういうことを考えたりもしたけれど、私は、自分で「子供を持って仕事を続ける」ということを放棄したのです。

 だから、それを放棄しなかった、大変だとわかっている道を選んだ女性をすごいと思うし、そうでない自分がとてもダメな人間だと思っていたんだな、と気づきました。

 仕事を続ける努力を放棄できて、そしてそのまま私が家に残っている理由は、

 ・幸運にも夫の給料で生活できている
 ・幸運にも二人目を授かって再度妊娠出産期間があった
 ・次の転勤も見えてきた
 ・仕事をして家事や育児と両立できるか不安が大きい


 からです。

 恵まれているから、専業主婦でいられる。
 これは、私の努力でもなんでもありません。
 ただ、そうだったから、です。

 だから、余計に自分のやってることが自分では評価できなかった。
 自分で努力を放棄して、幸運にも手に入れた環境に身を置いている。
 大変さがないというわけではありません。
 子どもと家にいることがどれほど苦痛か、ということも身をもって知っています。

 けれど、自分が、理想としていた姿とは違う自分でした。


 でも、思ったのです。


 じゃあ、仕事を続ければよかったのか?
 続けることで生じるリスクは、やめたデメリットより小さかったのか?

 どうやったら続けられたのか?
 自分も家族も納得して続ける方法があったのか?

 結婚しなければよかったのか?
 子供を持たなければよかったのか?

 転勤族の夫を持つ妻が、仕事を続けることはできるのか?
 単身赴任を選ぶのか?

 そう考えると、私の中に優先順位があって、当時の状況で、自分の手元にあるカードの中からの選択としては、ベストだったんだろうと思いました。

 それが、仕事を続けることをあきらめるということだったとしても。

 もちろん、選択は人それぞれです。
 私と同じ状況でも、続ける方法を見つける人はいると思います。
 私の中の仕事は当時は会社に勤務するということでしたが、仕事というもの自体をどう考えるかにもよります。

 でも、結局ここで必要なのは、

 仕事を続けたか、
 仕事を続けることをあきらめたか、

 ではなくて、

 自分の選択を許容すること、

 なのだろうと思いました。

 男女平等のもとに育って来て、結婚出産となった途端に女性は、男性と同じように、とはいかなくなります。
 まずそれを受け入れるというところに翻弄されるのが、子供を持つ女性なのかもしれません。

 けれど、そもそも男性は、子どもが生まれたからって、仕事を辞める、ということはほぼありえません。
 もちろん育児(新生児、乳児)の負担が女性よりも少ない、ということはあります。
 (やろうと思えばやれるかどうか、ではなく、現状そういうことが多い、という意味で)

 だけど、基本的に男性に「仕事を辞める」「仕事の量を減らす」という選択肢はないんだなあとも思いました。
 女性は、選べると言えば選べるのかもしれません。本意か不本意かは別として。

 鹿児島に転勤して夫の勤務時間が短くなって、夫の家での態度が大きく軟化し、
 子どもの相手をしてくれるようになったことを思い出して、
 男性にはそういう選択肢もないんだなあとも思ったのです。
 もちろん、選択肢があれば選ぶか、というと、違うかもしれません。
 でも、そういう選択肢があるという意識さえない社会で育ってきたのが今の男性なのだろうなあとも思いました。

 もし、もっと違う社会環境で、違う教育を受け、違う認識の下で育ってきたなら、
 男性自身が今の男性の置かれた状況を、「ありえない」と思うのかもしれません。

 でもそういうのって、今生きている人間にはコントロールできないわけです。
 今を変えることは、できない。
 それは誰のせいでもない。

 仕事を続けている女性をえらい、すごいと思ってきたけど、
 別にやめたからと言って、人として向上心がないとか失格だとか、
 誰かが言ったわけでもありません。

 それは、私がそれまで生きてきた中で、自分の中に培った「コントロールできないもの」でしかなかったわけです。

 だけど、もちろん変わっていくことはできます。
 変えていくこともできるでしょう。

 でもそれは、今から始めること、なのです。

 仕事を続けているにしても、
 仕事を続ける責任を放棄したとしても、

 例えば、男性が育児に主体的に携わる時間がないと思っていたとしても、
 それを申し訳ないと思っていたとしても、

 必要なことは、

 それを選んだ自分を、まずは受け入れること。

 許すこと。
 認めること。
 そこから続いてきた今を肯定すること。

 なのじゃないかな、と思ったのでした。

 そして、そうなりたいと思うところで、この日の思考は終わりました。


 そして三日後、何だか不意に意識の変化がやってきたのでした。
 長くなったので、それはまた次の記事で。


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